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皇帝ダリア、咲きほころぶ ベーテル花ブログ 2024/11/11

皇帝ダリア、咲きほころぶ

 

ベーテル花ブログ

2024/11/11

 

    マンデヴィラ満開

    マンデヴィラ散りゆく

    皇帝ダリア咲きほころぶ

 

また嬉しいことに、皇帝ダリアが咲きほころび始めた。皇帝ダリアはたまたまにベーテルの開院日頃から咲いてくれるので験が良い。たまたま立冬11月7日にも当たる。ベーテルは32周年となり、33年目に入る。昨年夏に遂に死にはぐれて1年を過ぎた。一年前は皇帝ダリアを楽しむことができるかも不安だった。生きたいわけではないが、その後は何事もいつも最後、最後を意識するようになった。が、最期は明日かも知れない。

たまたま、2ヶ月以上も咲き続けてくれたマンデヴィラがいよいよ長い冬眠に入る頃に咲き始めるので、何とも偶然に新しい美人がやってくる。

ベーテルが皇帝ダリアを養生するようになって10年を超えた。マンデヴィラ同様にベーテルカレンダーにも何回も登場し、また「てんかんケア仙台」の表紙も飾っている。今年のカレンダーも11月は皇帝ダリアだ。皇帝ダリアが殊更に愛おしい花になったのは、霜が降りれば終わりで、無残にも黒々と果てるからだ。だから、今日咲き誇っていて、お世話している園芸班が自慢気な顔で見上げていても、霜があり得れば終わりである。皆がよく承知だ。

園芸班は凍る前に幹を大事に切り取り、いや伐採する。そのあと、冷涼地の仙台ではその根元を腐葉土で厚く被い、瓦板で被う。冬越し対策のベーテル風だ。親の球根は来年も初夏には新芽を吹き出してくる。花数には欲張り以上のベーテルなので、沢山並べたい。切り取った茎は一節毎に切り離し(物の本では2−3節ともある)、初夏を過ぎて芽出しするように大事に大事に温室で守る。容易に手に入る水苔でよい。発芽率は悪くないので、七割以上と豪語してよい。中には花を愛でる人もいらっしゃるもので、褒めてくださり所望なさる方もおられ、喜んで差し上げることもできる。私どもは育てた甲斐があったと喜ぶ。

中米が原産地であるとウィキペディアが語る。私は舐めたことも吸ったこともなく、囓ることも咬んでみたこともないが、アステカ人が「水の杖」と呼ぶほど堅く、ながらダリア属の植物なので茎に水を含みので、山歩きには重宝されたらしい。

頭頂には勿論、頭頂に近い枝節から3本は花茎を出し、それぞれ3個ほどの花芽を伸ばしてくるので花数は少なくない。花弁が吹きこぼれればぐんぐんと大きくなるので、咲き誇れば豪勢だ。何しろ身の丈は5メートル以上にはなるので見上げることになる。SNSでは皇帝ダリアの東京22スポットなどという紹介もあり、人気があると言えそうだ。

たまたま(今回はこの言葉が多すぎるが、花を愛でたい人は同じように行く先々でたまたま出逢えれば凄く嬉しいもので、たとえばその公園の株も上がる)、娘が住むことになった家の目の前の畑地に皇帝ダリアが咲いていた。またその時期に訪ねることができたらなと願ったりする。ところが昨年、畑はなくなり家が建っちゃってと残念がっていた。冷涼地ではないので楽しめるかもとたまたま行ければと願っていたが、同輩だ。

昔々、当方も国際学会に出向く機会が何回かわずかにあった。その時に私が取る行動は、稀なモノではないと思うが、宿泊先のホテルの周辺を小一時間は一回りする。迷うこともある。たまたま明るければ(朝はひどく苦手なので花を愛でる人とは言えないが)、むしろ道端、庭先に目が行く。これは小児期の一時期の行動の一特徴なのだが、花が咲いていて、何かしらの理由で気が引かれれば、シャッターを切る。その昔、外地ではカメラを持ち歩く人は嫌われていたが、今はスマホの時代で、ヨーロッパでも同類が多くなったので、気兼ねせずで気軽となった。

今やオーヴァーツーリズムと呼ばれるパルマで、数年前苔むした教会の写真を撮ろうとしていたら、この私に向かって私たちも撮ってくれと勢いで皆でポーズした数人の女性たち(ごめんなさい、彼女らが若いのかそうでないのか、寄せ集めなのかは分からないが、とっても素敵な人たちが投げキッスをしてひとくれたのですよ)に遭遇した。正直に言えば、日本人というかモンゴル系というかアジア人の私に、そんな挨拶をしてくれる人たちがいるなんて逆にびっくりで、嬉しくなりました。そんなことは珍しいのです。

ついでにのように、突然の思い出が蘇ります。グラスゴーのホテル周辺を両下肢がパンパンに張っている若くはない女性がゆっくりと歩くお姿に当方の足が止まってしまいました。黒い街にとても似合っていました。すると、思い出は突然にダブリンとなり、たまたま入った酒場では地域グループのイヴェントが開かれていたのです。入れないなと気配を感じた当方は、しかし押し出されず歓待(手を引っ張られるおもてなし)されたのです。

だいぶ脱線しましたが、花の思い出の最高は、早春の朝早く着いたアムステルダム・スヒッポール空港からの道端に小さく咲きはじめている白いデイジーの美しさでした。今はなきJoop Loeberさん(元国際てんかん協会IBE理事長)の出迎えの車の中からなので、カメラには残っていませんが。

さて、いわゆる外来種皇帝ダリアは、1000メートルの高原の花なのだそうです。ありがとう。あたかも高原を住まいとする可憐な山野草の取り扱い要領のように大事にしますが、日本に、しかもベーテルのある平地に持ち込んでいますから、いずれ生態系を壊すかもしれません。ごめんなさい。なのだが、彼らも必死に生きねばなりません。その後禍を私は未だ知りません。皇帝ダリアの花芯に蝶や蜂が訪れるのを見ていますが、実が成ったのはみていません。 (Drソガ)

     マンデヴィラ満開

     マンデヴィラ散りゆく

 

    皇帝ダリア咲きほころぶ

 

④マジョルカBarbie