優生保護法最高裁大法廷判決(2024/07/03)は
綺麗事を言ってるだけ、だって?
ベーテルブログ 優生保護法
2024/07/24
① 森本美紀、野口憲太.社会に透ける「障害者排除」。最高裁判決に「きれいごと」投稿、優生思想の根っこ 警戒を(私のからだは奪われた4).朝日新聞、2024年7月7日、26面.
② 宮地ゆう(朝日新聞編集委員).日本社会を映す匿名とぼかし(日曜に想う).朝日新聞、2024年7月14日、3面.
③ 河北新報編集部デジタル班.旧優生保護法被害者への誹謗中傷、差別克服へ自省重ねて(ニュース深掘り、考える-問う-論じる).河北新報、2024年7月22日.
最高裁大法廷判決の7月3日あたりは優生保護法−強制不妊に関する新聞記事やTV報道は拾いきれない程多数で、スクラップ作業も簡単ではなかった。そして、注目の一つとなる首相の原告団との面会と謝罪が7月17日にあったので、スクラップ記事も未整理のままとなっている。7月3日から首相面会の17日までの若干の合間に、所謂後追い記事と呼ぶ別の視点の記事が提供されている。
その一つが所謂SNS上に登場する、はしたない言説も取り上げた朝日の記事だ。日本障害者協議会代表の藤井克徳さんの取材で、強制不妊の大法廷判決を「きれいごといってるだけ」の類いに2万を超える数が「共感した」と述べていると述べた。当方も縁があって、毎日新聞の遠藤大志記者の取材を受けたが、その記事に1万人もの方々がわざわざに好意的に反応なさって下さったが、想定内ではあれ、口をはばかるが、障害者根絶を当然とする(優生思想)か、理屈の果てに障害者は社会の金喰い虫で社会的存在が邪魔だとする(排除)など、総計すれば同じぐらいになろう「障害者排除」コメントを頂戴した。当方は取材を喜んで受けているが、想定されたように、よく言われる世俗的な表現、それみたことかと言われるような、そんな記事ともなったかな、と感じないわけでもない。どの道、そのような反応や姿勢から見れば、最高裁大法廷判決は「きれいごと」らしく、現実の世の中の実際は綺麗事でないらしい。ならば、強制不妊訴訟の最高裁大法廷判決は逆に、世事の類いにも一つも負けていない、美しすぎる一大判決であったとなる。少なくも、法務省官僚に負けなかった、つまり政治の圧力に屈しない裁判官メンバー15人であったことになる。このような偶然はどのようにして可能になったのかは、事情に通じた賢明な方々はお見通しであったろう。
共感しようとも斜に構えようと、いずれも「匿名」投稿が大部分であり、短文での単純構成を読み解くのはとても難しく、礼を込めたご返答にはなりにくい。この形態の情報流通が無視できない程に優勢となってしまっては、これからの社会のあり方をますます変えていかせている。折も折、朝日の宮地ゆう編集委員は示唆に富む論考を載せている。「日本社会を映すー匿名とぼかし」です。日本人は匿名が大好きで、これに拍車をかけるばかりか変態させているのが「故人情報保護法」だと指摘する。ジャーナリスト金平茂紀さんの「言葉は、それをだれが発したのかという情報と結びつくことで、重みと責任が生まれる」という言葉を引用しながら、彼女は「自分の名前でものを言える社会は・・・・・それを生み出す意識的な積み重ねが豊かな社会をつくる」と結ぶ。
思い出す。3.112011で被災した、とある息子さんと父親は這々の体で当院に緊急保護となったが、ご親族が東京にお一人だけいらっしゃることが分かった。急を告げたく、さる区役所に連絡が取れたが、個人情報のため教えられないと。もちろん電話も教えてはくれない。こちらの名前は伝えており、せめて連絡があったことぐらい上手に告げていただけないかと頼み込んだが、動じない。一方、これは当方の個人の体験だが、県庁にある資料を得るところまでいったが、中身は黒塗りで何も分からない。黒塗りしたのはどなたなのかは、行政お得意の匿名性であり、黒塗りが何を守ろうとしているのかが定かではない。部局内では黒塗り作業をどなたがなさったかは明瞭のはずだが、部局外では分からない。決して漏れないこの陣形は美事で、赤木俊夫さん自殺事件がこれを実証している。行政内部にはそんなことがある。
新聞の情報は世人には非常に貴重だ。加えて7月22日、今度は地元の河北新報の編集部デジタル班が、「ニュース深掘り(考える、問う、論じる)」欄で、優生保護法の被害者への誹謗中傷が続いていることをあらためて指摘した。論評はいわゆる正論で応えたもので、特に名誉毀損の視点と表現の自由論議が提示され、具体策を述べようとなさっているので興味深い論評となった。
優れた記事ながら、また後続での説明があるが、「被害者への中傷がなくならないのは、差別を定着させた国や、われわれ社会の責任でもある」というまとめは、大変失礼だが少々物足りない。
そういう文脈が一般的であっても、「ネット上には差別を助長する違法な書き込みにあふれている」のは社会の精神病態、病理であって、人間集団の行動特性による国家の成り立ちとその存続という歴史に根ざしており、優生保護法による強制不妊は国家権力が有する近代的装いのたまたまのあからさまな暴虐が法として具現化された典型に過ぎず、元来社会は差別を持つのが本態の一つとみなすのが適切な視点である。障がい児者の両親や家族のほとんどは、いわゆる内なる偏見からは自由でなかったとしても、我が子の、我が兄弟姉妹を抹殺することなどはなく、最後まで守り切るので、障害者の根絶や排除とは本来的に縁が切れている。
この場合、最高裁大法廷判決は日本国憲法の理念を守りきったと評価してよいので、少なくも法によるあからさまな差別は減っていくと期待してよい。日本国憲法がしばらくの間は差別の防壁となり得るが、差別を助長しているとするネット上の違法な書き込みが溢れるのは、違法だからではない。それが社会というものであるに過ぎない。憲法を守り切れても、法を美しすぎるものまで作り替えても、社会病理だから、差別は無くなりはしないし、減りもしない。あからさまなものは見えなくなっていこうが、差別の本質は表現形態を変えていくだけの変態過程である。
そうではないのだとする力を生み出す全く新しい社会を創るには、新しい理論が必要である。唐突だが、そのような実践理論の発展を阻害しかねない現代優生学の一つ現代医科学とその臨床応用が走狗になりはしないか、注意深く見張り続けたいと思う。 (Drソガ)
① 森本美紀、野口憲太.社会に透ける「障害者排除」。最高裁判決に「きれいごと」投稿、優生思想の根っこ 警戒を(私のからだは奪われた4).朝日新聞、2024年7月7日、26面.
② 宮地ゆう(朝日新聞編集委員).日本社会を映す匿名とぼかし(日曜に想う).朝日新聞、2024年7月14日、3面.
③ 河北新報編集部デジタル班.旧優生保護法被害者への誹謗中傷、差別克服へ自省重ねて(ニュース深掘り、考える-問う-論じる).河北新報、2024年7月22日.