2024/05/24
強制不妊の歴史は検証される?
強制不妊の最高裁上告審開始、5月29日
① 松原洋子:国会で総括し政府に提言を
② 岡崎伸郎:進歩思想の犠牲になる弱者
③ 藤井克徳:責任の所在、明らかにせよ
毎日新聞、オピニオン、論点.2024年5月24日、9面.
お伝えしたばかりだが、いよいよ5月29日、強制不妊訴訟の最高裁大法廷での一括審が始まる。世の中の関心度はともかく、マスコミはその責務としての具体的役割をしっかり担おうとしている。本日5月24日、毎日新聞はオピニオン紙面に、改めて強制不妊にかかる論点を紹介すべく、一面を割いている。名付けて強制不妊の歴史検証だ。良い取り組みだ。国家犯罪である強制不妊をどの視点から見ているかは、論筋より、全体の論調を彩る一語一語からこそ、よく読み解ける。
この特集は、日本障害者協議会藤井克徳代表を加えたので、救われている。先走るが、強制不妊訴訟の結末がよりリベラルであったとしても、いわゆる現代優生学なる「存在と事実」としての国体への保留的警鐘とはなり得ても、優生思想自体は変わらない。であろうが、藤井は懸命に「責任の所在」を明らかにするよう説く。「被害者一人一人の尊厳」はない状態は、裏を返せば強制手術に関係した総ての執行者について、その名簿がない(記録すらない、または黒塗りだ)のと同じだ。優生学の研究者であろう松原洋子さんは国会調査報告書には、「立法や行政に関する総括や提言はない」としたのはよいが、おそらくきたいできたことではないのに「国会で総括し政府に提言すべき」とする空虚な物言いに逃げる。「強制不妊手術の事実は何重にも封じ込まれてきた」という原罪が何故この世で繰り返し実現し続けてきたかと問うような本筋論を展開できる方を求めたい。「技術行使の担い手である医師たち」と「私たち」を同列に置いてはならない。この世には到底ありない代物「共生社会」をと口角泡を飛ばせば、文章が収まるものではない。
見過ごすような倫理問題はもともと存在しない。行使者は無批判でも批判でもなく、もともと積極的に善意に溢れているしたがり屋である。実務の罪は法によってしっかり守られている。実務を拒んだ方をほめてよい。立法故の強制不妊、行政権力の確実な執行と礼賛者。恐ろしいことです。
時の流れでは、国会ではなく、人間の尊厳のためを謳うような閣議決定で、済む話と思える。強制不妊法(立法)は、「身体拘束と麻酔の使用、欺罔(だますこと)を認め」て事細かな細則を実行者に命じている。
(Drソガ)
① 松原洋子:国会で総括し政府に提言を
② 岡崎伸郎:進歩思想の犠牲になる弱者
③ 藤井克徳:責任の所在、明らかにせよ