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強制不妊手術 日本精神神経学会が謝罪

 

強制不妊手術

日本精神神経学会が謝罪

 

ベーテルブログ2024/02/022024/02/12発信)

 

    河北新報.強制不妊手術−「国家施策を前に傍観」、日本精神神経学会が謝罪、「オール宮城」にも言及、2024年2月2日、20面.

    朝日新聞.強制不妊手術−「人権損ねた」、精神神経学会が謝罪.2024年2月2日、21面.

    公益社団法人日本精神神経学学会.(2024)優生保護法下における精神科医療及び精神科医が果たした役割に関する研究報告書、概要版、要旨(A 目的、B 方法を含む).  202421日.

https://www.jspn.pr.jp>activity>houkoku01

または    https://www.jspn.or.jp>modules>advocacy

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 私どもが加わる、国際てんかんデイIEDに協奏する仙台てんかん市民会議SCAPE23日(土)に開催されたが、その前日22日に、河北、朝日に小さな記事が投じられていた。早速に反応したかったが、明日の準備に追われた。

 強制不妊手術の手術実行に余りにも深く関与したであろう、その時代もほぼ会員であったろう精神科医が所属しているのが通例であろう日本精神神経学会の真摯な謝罪記事である。その学会、そのまた委員会(法委員会)が、21日、③の公式ホームページ上で、冒頭にある、かなりに正直な謝罪を行った、とのこと。①や②の新聞の報告記事は重大ニュースを伝えているが、(なお、朝日にしては珍しい記事の筆者名が記されておらず、文責者なしの社報だ)、短文すぎて、たとえば2018131日周辺に怒濤の如く紙面を飾ったことなどの事情に通じない方々には分かりにくい。③日本精神神経学会の報告書概要版のうち、要旨(アブストラクト)の部分だけでも利便のために皆さまにお伝えする。なお、報告書は300頁で部厚だが難解な研究書ではなく、眼運びはよい読み物として事態を追跡させてくれる。

 

 当方はいつの間にか精神科に所属し、学会にも所属したし、またいつの間にかいわゆる精神鑑定医となっていたし、また今はいわゆる精神保健指定医である。だが老齢の当方とて、優生保護法や強制不妊手術の実際は全く知らずだから、ましてや、今の学会組織を領導する構成員や委員会委員を務める若い方々も実際には何もお知りではないと考える。彼らと当方が異なるのは、当方が当事者である点だ。だから、視点が決定的に異なる。このため、昔々の学会さまが「国家施策を前に傍観」していたと既にお亡くなりである方も少なくない諸先輩の有り様を現在組織が謝罪したとして、過去の断罪となりながら過去の思い出話の両面がある。「傍観」という用語は逃げ言葉として美しく選ばれている。が、当時の現場の実行者の一員であったことに変わりはない。医師の場合、法的な実行への職責は決して軽くはない。まして、国家施策を前に」は、医師の場合は通ずる道理ではない。とはいえ、お偉いお医者様とて単なる国家資格の一つに過ぎない。

都立松沢病院では当時、今日は誰にしようかなと医局の黒板に書かれた名簿一覧から選ばれることがあったという証言事実が紙面を飾ったことがある。私ども医師とて望まずとも「国家施策」に従順であるという原罪を背負って生きていくのだが、さりとて、医局員達が実行者となったことに変わりはない。もっともっと大事にしたい哲学は、国家政策なるものはどなたも漏れず人皆に政策という原罪を強いていることである。生まれたときから、その国民となってしまうと、人皆、その心底は、この運命から逃れるのは一般的に非常に難しい。生まれて国の中で成育がこれを見透かす力を養成していくようなものでなければ、広く深い素養を育み慈しむ成育でなければ、実効支配の国家政策には太刀打ちできない。

なので、そして、とはいえ、学会法委員会が精神科医は国家施策を前に国家犯罪を傍観していたという用語選択に辿り着いたことは、さすがは精神医学とその学会の世界だねと誉めてよいだろう。歴史の総括となる。学会の遺産に奇妙な遺物もあったとなるか。

 

ところが、現代医学は全く新たな展開に向かっている。わかりやすい例の一つが現代優生学だ。現代医学の発展は新たな優生学としての技術を手に入れ始めており、旧優生保護法や強制不妊手術の時代とは全く異なる新しい概念が形成され始めている。私たちはこの新しい事態に直面していることを肝に銘じなければならない。現代優生学の視点からは、てんかんを含む他の病気、他の診療科の新しい発見、医療技術の進歩の有りさまに無関心ではおれなくなる。いずれ、丁寧に拾い集めて、相応にコメントするぐらいは責務だ。

 なお、河北の記事の中に、重大な情報が堀上げられている。昔々、我が家の隣が遺跡発掘現場となり、苦学生の当方も一時アルバイトをさせていただいたことがある。強制不妊手術の歴史にも、そのような発掘ものが出てきた。「県精神薄弱児福祉協会」なる官民組織があったとある。河北は「オール宮城」と命名したが、“愛の十万人県民運動」であったらしい。なお、協会名は「者」ではなく、精神薄弱「児」なのが気になる。この字句、「児」は事態を知る何かしらの手がかりになりそうな気がする。実は当方は宮城県中学生弁論大会第一回」のいわゆる最優勝賞を頂戴している。テーマは「知恵遅れの子ども達に愛の手を」だ。亡き母が書いたものだ。時代が符合する。私も手を貸していたのではないか、待てよとなる。十万人という数字が気になる。何故百万人でないのか(現時点で宮城県人口は220万人余り)。県民運動は県民の一部、「児」を対象にしていたのではないかと疑う。福祉協会とは何者であったのか、一体どなた達が何をどうしようとしていて何をしたか、顧みれば我が身がどこにいたのか、とても興味深い。数字の問題は、百ならば宮城県の人口、児ならば十でもおかしくはない。さてはて、お暇をおつくりいただき、先ずはWEB上で宮城県精神薄弱児福祉協会なる検索を行ってみてください。ときめく方々のお名前がずらりとお並びで、宮城県はわざわざ民族(?)のため遺伝病への徹底した対策を叫ぶ県となっていたらしい。極めて特殊なプロパガンダを繰り広げていたことになるが、一方では水上勉の「拝啓池田総理大臣殿」(1963年)も思い出される好対照だ。いつの時代にも熱狂というのがある。協議会構成員は変なものに巻き込まれていた可能性がある。いわゆる名貸しの官製組織だ。税が使われていた県民運動となれば、県が裏の頭目の意図的な行政となり、道義を超えて罪深くなろう。

 

話向きを変える。その手の協会や協議会などと呼ばれるものは官製、もしくは官製まがいでどこにでもありそうで、少なくはない。立派な審議会もある。SCAPE活動により、てんかんケア開拓に何かしら実に繋がりそうな行政の窓口探しをしているが、例えば精神保健行政でも同じ手法が使われているようだ。さまざまな行政行事があるらしい。おそらく、さまざまな行政行事があるらしい。おそらくこれは行政学に通じないと分からない仕組みなのだろう。

行政とは全く縁のないベーテルだが、唯一の例外がある。病院監査だ。お呼び申し上げていないが、毎年必ず監視指導が二つやってくる。てんかんケアの話は全く出ない。行政と全く縁のない当方にも、一つだけ行政から声がかかるものがある。年一回の精神病院長会議だ。当方は病院に寝泊まりで平日日中に出かけるなどは、贅沢中の超贅沢ごとだったので出席が叶わなかった。罰則はないらしい。何とか都合をつけて何度か出席させていただいた。実に興味深い御沙汰の場であることが分かった。名目上の質疑はあるが、ほぼ意見や討議はない。法に定められた年次病院調査の報告であり、おそらく何かしらの周知徹底の会議なのだろう。なお、数年前から、てんかんの統計は含まれなくなったので、ベーテルに居場所はない。

精神保健含めた福祉分野に専従する方々と、この種の話題を話せる機会があればと思っている。いわゆるその手の協議会では、それこそ名の知られた福祉分野や領域を行事する方、また専門家が多数お名前をお連ねでいらっしゃる。そうなのだが、公開されている議事録を眺めても、質疑、協議内容は行政への質問であり、討議が行われているという体裁はない。取って着せたような官製応答にはおそらく何かしらの新しい意図はなく、おそらくは法令通りやっています、やりましたレヴェルの会議と映らざるを得ない。だから、てんかんの私たちに手が届くものはない。宮城県や仙台市には何かしらがあってほしい。

 

 優生保護法−強制不妊手術に関する日本精神神経学会の自身の生い立ちを切る謝罪の話から大分それてしまった。さて、皆さんも是非、日本精神神経学会のホームページを開いてみて下さい。そのなかに、「てんかん」の4文字が何回登場するか、お目通しください。

とりあえず、お知らせのみ。

Drソガ)

    河北新報.強制不妊手術−「国家施策を前に傍観」、日本精神神経学会が謝罪、「オール宮城」にも言及、2024年2月2日、20面.

 

    朝日新聞.強制不妊手術−「人権損ねた」、精神神経学会が謝罪.2024年2月2日、21面.

 

   公益社団法人日本精神神経学学会.(2024)優生保護法下における精神科医療及び精神科医が果たした役割に関する研究報告書、概要版、要旨(目的、方法を含む).  202421日.