近頃は多忙に過ぎる。滅多に散歩ができない。たかだか数キロなのだが、花を撮ったりするので2時間はかかるからだ。2時間を1時間ほどにしたいが、この数年ほど前から終点近くのとある場所から辛さを感ずるようになった。血圧かなと思ったがそうではない。足がついていかない。高齢とは悲しいもので、総じて、多分脳が疲れてできなくなっているのだ。事務職になってしまって久しい当方の身体はただただ、背筋を伸ばすために歩く。散歩道の上がり下がりが良い。上肢の筋力増加には全く役に立たないが。
当方の散歩は毎週一回を心掛けて、真冬日も休まぬことにしてしまった。十年以上前になる。雪に被われ誰も歩かぬ河原を靴が新雪ならば20cm以上はぬかる雪道を一歩一歩、長靴を抜きながら歩こうと務めた。なかには同輩のタレカものもたまにはいるもので、雪原に一筋の足跡があったりする。その足跡を丁寧に辿る方が楽な日も稀にある。難行苦行が目的ではなく、ただ歩かねばならぬので歩くのだが、足跡は固くなっていたり足底を深くえぐられてしまうのもあって、かえって足もとをすくわれることが少なくない。避けたが賢い。百歩歩いて、100数えて、また百歩を繰り返す。
諦めて一度だけ車道に逃れてみた。これは明らかな選択ミスで、その車道はアイスバーンで、一部は半シャーベット状態であった。滑って転ぶ方がよほど危険と知ったし、車道は黒く汚れていた。もともと容赦がない通りすがりの車は、狭くなっていて余裕がない。車はクラクションを鳴らすが速度は緩めず、意味のない警報を鳴らす。減速する危険を知っているのではなく、ただただ決して緩めないだけなのだ。ドライヴァーにとって道路は車道に過ぎない。歩道がないことも意に介さない。だから、道に老いた姿があるのを許そうとはしない。
そんなこんなで、滑らない履物が大切として、3足ほどもプレゼントをもらった。だが、履き物なので、寸法は合っていても靴のプレゼントは靴屋に一緒のプレゼントのお膳立てが大事。
雪が和らげば、陽向は早速に氷が溶けて、小っちゃな小さな青色の小花が数えられないほど咲き始める。回診中に春一番の野花の名を問うたことがある。とある少女が「それはあ、オオイヌフグリです」と即答したのだ。驚きだった。どなたの智恵か、すごい親御さんもいらっしゃるものだ。
(Drソガ)