2022/03/08
ベーテルブログ
今週のこの記事一つ2022-02(28)
強制不妊訴訟 国が上告
大阪高裁賠償判決に不服
① 毎日新聞.2022年3月8日、第1面.
② 毎日新聞.2022年3月9日、第26面.国上告「つらく悔しい」ー強制不妊訴訟の原告
③ 河北新報.2022年3月8日、第31面.強制不妊ー国が上告:除斥期間の解釈 不服.
④ 毎日新聞.2022年2月26日.社説「強制不妊で賠償命令 非道な国策の責任認めた」
さもありなん。高裁の判決一つで、優生保護法による断種が国の責任だ、となるほどこの国は甘くない。3.112011を目前とした3月8日の毎日新聞は、第一面の左上にこの記事を知らせてきた。やはり、そうなる。裁判の一つ二つで、ものが決着に向かうことはない。
2月22日、大阪高裁の優生保護法による強制不妊手術への弾劾勝訴を、毎日新聞は2月26日の社説で、「人権を甚だしく侵害する政策について、国の責任を厳しく追求した。画期的な判決だ。国は上告すべきではない」として警告している。タイトルでは「非道な国策の責任」という言葉を選んでいる。この点は前回は直接には触れなかったが、社説で短く述べている次の説明で十分だ。「除斥期間は、長い年月を経た後に法的な争いが起きるのは好ましくないとの考え方から設けられた。被害者が置かれた事情にかかわらず機械的に適用され、例外はほとんど認められてこなかった。。。。。。。法律の違憲性を認めながら訴えを退ける理由になってきた。」
この種の法律論議に医者の当方がついていこうとするわけはない。端的に、論理的な魅力が全くない。合理を、国家や、時代のヒト社会が決めるのは勝手だが、事実の取り扱いは事実通りでなければならない。国なるものがその成り立ちから高々数十年前の、過去の事実に触らない、ようにできている。美事な成り立ちで、事実抹消となるこのような論立てが正直怖い。そして、事実があっても除斥があり、事実は消滅しているという方便まで用意している。面白い構成だ。当方にとっては論議にならず、いささか以上の哲学談義になるので、これ以上の言及はやめるよりない。
当の厚生省は言う。私どもはこの場合、通常彼らと言うが、厚生省の理論担当者はそう沢山はいない。しかし、実際には必ず、担当高級官僚一人が取り仕切っている。この場合、次官までいくだろう。待て、その次官が私ども以上の何を知っていようか。したたかな政治能力はあろうが、いや、そういう能力だけがあるかい。有り難く宣う。「除斥期間の法律上の解釈/適用に関し、法律上の重要な問題を含んでいる。。。。。。。最高裁の判断を仰ぐ」と。
全く恐れ入る。こんな詭弁やすり替えが通るならば、ほぼ立法府の厚生省行政などは最初から要らないのでは。あるいは、そんな政策(≈立法)なのだ。なお、この種の殊勝そうな言い方には、自分達には直接の負けはないし責任も勿論ないと言う、下卑が透けて見える。原告団は皆年寄りで、後日はないのだが。明日に命はないのだが。いわゆるたらい回しだ。
たらい回し。当方も言葉の歴史には詳しくないので、本日現在のWikipediaに頼った。たらい回しは素晴らしい曲芸らしい。
最高裁は天下一品の業師を揃えていると聞く。「法の番人」ではない。形式的には国民審査にかかるり任命権者は天皇だが、実際には時の内閣(総理大臣)が指名するので、特に一党支配となり、特別には一人の長期政権となれば、人気取りの意まで受けた忖度機関とみなしてよい。どっこい、私どもに必要なのは、建前に忠実な「勝訴請負人」だ。真の被害回復の評価は、本当の被害者を知っている者達が手塩にかけた積年の請負仕事の成果次第だ。 (Drソガ)