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ベーテル花ブログ 44 赤い実

                                                                                        2022/01/16

ベーテル花ブログ

44 赤い実

 

 年の瀬が近くなると、赤い実が目につくようになる。以前に書いたが、初冬の夜中、仙台駅本屋前コンコースの飾り樹がこんもりした黒緑の枝葉の中に隠すように赤い実を隠していたことに気づいたことを書いた。赤い実。

 今年2022年のベーテルカレンダーの一月は「やぶこうじ」となっている。新年を祝うのに赤い実は素直だ。

赤い実と言えば、クリスマスリースには柊の赤い実。柊の緑の実は鈴生りとなり、赤くなって初めて、よくもこれだけの実を付けるものだなと驚く。当方の柊は強靭だ。とある時から見逃すことが難しいほど、実をつけ始めた。もみの木の影に隠れるような居場所だが、陽の当たりそうな隙間に負けじと枝を伸ばしてくる。その実は、実は陽当たりがついに十分でないと真っ赤にはなりきれない。

 さてはて、赤い実はたくさんあろう。今回は梅もどきに出会えた。年寄りとなると実を見ると、埋めて育てたくなる。だから、鳥に持っていかれないように気を点ける。鳥は食べ頃を見計らっているので、油断すると一日で無くなってしまう。これはこの柊から学んだ。よくまあ、こんなに綺麗さっぱりに赤い実を啄み尽くすものだ、と。農家の人は鈴生りの柿の実を一個一個丁寧に摘む。とは言え、必ず何個かを残す。鳥の分け前分だと聞いたことがある。一晩では無くならないが、山茱萸の実も同じだ。一週間も経たぬうちに全て無くなってしまう。だから、野薔薇の赤い実も同じなのだろう。確かに、いつの間にか無くなっている。

 子どもたちがちっちゃな雪だるまを作る。目玉に赤い実をつけて良い。彼らは今年は手近のがまずみを選んだ。食べ頃があるはずなのに、がまずみの実は既に熟しすぎていた。押せば潰れて赤い血のように雪だるまの涙となった。自然樹木だから、実を食べる鳥は必ずいるはずなのに。子どもたちには南天を取ってあげたら良かった。目玉としては可もなし、不可もなしだった。その南天だが、これも突然いなくなる。食べ頃はヒトの目では分からない。ここまで書くと、まるで小学生の生物日記みたいとなる。そんなことだから、目の前には千両もある。これは、寒冷地では難しい木のようだ。いや、当方のお世話が悪いだけなのかもしれない。何しろ、当方は農学を選ばず、機械工学から医学だから。

 さて、さきおととしにちっちゃなちっちゃな黄色の実を求めた。鳥は青を食べないという。この5mmほどの実は鳥たちの口に合わなかったようで、根こそぎ無くなることはなかった。柊の実が葉先の鋭い棘で守られるように、こちらは実のつく枝に棘を隠し持っているからか、この場合棘を厭わない鳥がいるのか、いずれが正しそうなのか分からない。もちろん、その実は型どうり鉢に埋められた。そして発芽には充分成功した。とはいえ、幼木には快適な生育環境があるようで、逞しく成長せず2年と持たなかった。買い求めた際の名札を紛失し、その実名にはもはや簡単には行き当たらない。寒冷地には不向きだったので、冬は屋内に入れれば良かったのかなどと悔やむ。

スズメたちと雪を楽しむ。この季節、雀たちは気まぐれで、田んぼの稲の収穫時期のように、炊飯に寄り付かない時がある。

                      (Drソガ)