2021/08/26
今週のこの記事一つ:番外20―202108-02(20)
天声人語
もしかしたら、
今日空襲で死ぬかも
朝日新聞.2021年8月21日.
今は知らない。その昔、「天声人語」は読むべきものであった。が、田舎では地元誌だけで、知る限りのわずかな人々のなかに朝日を取っている人はいなかった。たまたま今日、天声人語に目が向かった。新聞なのだから当たり前だが、何と今がいまを話題にしている。当方に思い込みがあり、天声人語は奥深い教養に満ちあふれた格上の物知りが書く風情があり、この作文には年季が入った独得の免許皆伝の方法論にも通じ込まなければならない、と。あらためて2週間分の天声人語に目を通したものだ。天声人語はさすが上品な極上の時事論評だった。
新型コロナCOVID-19災禍第五波の最中に、敗戦記念日につながる東京大空襲を書き留めた一冊の本から、二つを繋ぐ。よく晴れた朝は米軍爆撃機にとってよい日和だ。定期便が来るに違いないと最初の頃は余裕の予想。時を経ず、毎朝目覚めると「もしかしたら、今日空襲で死ぬかも」と遂には怯えるようになる。
ベーテルでも、保育園、小学校に通うスタッフの子どもたちがコロナ感染に次々に巻き込まれている。この1年半で何度目か。看護が回らなくなる。ご家族全員にベーテルに向かっていただき、抗原検査を受けてもらう。何回目だろうね、そして総計何人になるか。幸い抗原検査レヴェルではみな陰性で、さしあたり一息をつく。それなりだった今年の4月を越えてきた。直感の一つは、県内感染者数が100人を超えてくると、極小規模施設のベーテルにも有り難いご迷惑がしっかり押し寄せてくる。当事者ご本人たちの恐れおののきはいかほどだろう。
コロナ対策について腹立たしく思った直感が確信となりつつある。感染症の専門家でないが、行政概念が現場での対応を遮断している。一つ、感染対策は発症、PCR陽性判明日、関係者の接触状態の経過把握のイロハに基づく。ところが、陽性者発生以外は、すべて「個人情報」に関わるからと、何も知らされない。発信者の事業体は、みな全く同じ文面の通知を送ってくる。みごとに国家的な報道管制が敷かれていて、粛々とお達しのとおりを守っているかのよう風体だ。我々関係者、この場合、医療従事者が陽性者発生の事業体や連絡担当者にあの手この手で、何度もなんども深追いを試みるが、すぐにでも得たい基本情報を得ることはない。「個人情報」、そして「保健所からの通知待ち」の二語のみ。
陽性者は何日から症状を感じていて、官制PCR検査を受けるまでに何日経過していて、この間家族以外の方といかほど接触しているのかの基本情報が「個人情報」とされて、知らされない。陽性判明者の名を知りたいのではない、何をしていたかなどの個人情報を知りたいわけではないし、知りたくもない。のだが、発端発症の日すら知らされないとなると、職員配置など、即座の対応を迫られる現場は全く手が打てない。何の手も打たなければ、面会も外出も制限され我慢にがまんを重ねている入院患者に感染が広がってしまう。通知されるのはさしあたりの休園、自宅待機の日付だけだ。それも延長されたりで、人員配置に四苦八苦する。家族であり親であるスタッフが巻き込まれている可能性を否定できない状態では、ベーテルという医療現場は何の対策も取れない。発症日は個人情報ではない。発症からPCR受検日までの日数も個人情報ではない。「個人情報」保護は情報隠しの新しい隠れ蓑だ。専門家会議、対策分科会は、保健所に課した現在の、強直した個人問題とした方式をあらため、学校や職場での感染拡大の防御対策にこそあらためるべきだ。①PCR検査陽性者に関する公示すべき情報のあり方を替え、②次でも触れる濃厚接触者と濃厚接触者ではないだけの単純な二区分を改め、接触者と同一空間、同一敷地内にいたもの、家族などの関係者などを含む具体的な再区分を明示し、③これに基づく−1)家族、−2)職場などに通知すべき基本情報と具体的な対応のABCを提案すべきだ。
感染経路不明者が多数になった現在、「濃厚接触者」なる概念一つではお仕着せとなる。家庭にコロナが持ち込まれていても不思議でない状態に関わらず、児の一人は濃厚、その他の兄弟は濃厚ではない。あげくは母父も、婆爺も濃厚ではない、などという判定がどこかで下される。濃厚接触とみなされた場合は、その子一人だけがPCR検査受検の資格が与えられるなどというのは、お笑いに近い。官製論理が1年半以上も続いていて、第五波だ。もはや、感染予防を優先させた基準や定義に代えたがよい。さすれば、関係当事者の、ただただ釈放の日を待つだけのストレスにも十分に配慮できるようになる。
PCR検査は更に面白い場合がある。金曜日に受けたら、結果は次の月曜日に知らされるとの宣告。官制PCR検査も明日はすでに予約満杯で明後日以後だ、と様変わりしている。ヘッ、満杯。どういう意味。迅速なPCR検査を提供することは極めて困難であるという大本営発表は、この1年半一度も聞いたことはないが。
当方は医者だから、種々の事情の幾つかには臨床的に無理がないと行政に同情できないわけではない。が、事態はもはや全く合理がない。PCR検査の対象だが、今日は夜でムリ。これは分かろう。加えて、明日は無理って、それは分からない。民の話なら分かるが、官制では分からない。伝染病対策には労働協約まで用意されている。
もういちど繰り返す。専門家会議、対策分科会は、感染予防を優先させる接触者の新たな区分、家族や職場などの現場に通知すべき基本情報と対応のABCを公表すべきだ。「しらしむべからず自粛」から「しらしむ」予防へが、市民を一つにする。
さて、本日、宮城県・仙台市主催の精神科病院長会議なるものがあった。ベーテルの病床は精神科病床なので、お呼びがかかる。仙台市、宮城県内の病院ではCOVID-19感染は幸い大事に至っていないという。一方、一例では沖縄では患者・スタッフが数十人亡くなっているといることなどの事例発生が関係したかは示されないが、新型コロナに対する国の姿勢は自治体の対策であるかのごとく、恭しく披露された。
さて、国が、つまり厚生省が精神科病院統計から「てんかん」を削除して数年となる。この耳でしっかり聞いているので、実行主体の仙台や宮城はこの事態に物申してはいない、と書き記しておく。だから、仙台、宮城の統計報告には、てんかんの統計は今回もない。当院の場合は宮城県宛てとなるが、毎年患者調査の報告書を出す責務がある。スタッフが時間を割いて協力しているが、てんかんからみれば、無意味な報告義務である。勿論、地方自治体発信情報にてんかん情報は残念ながら、ない。
この会議に触れたのは、実はCOVID-19関連下での行政監視を思い出したからだ。世を席巻する橋下徹なる大人物がコロナ感染者を受け容れない病院は厳罰に処すべきだと述べたばかりだが、自治体権力は病院の機能をどうにでもできるらしい。「病院まで敵に回すつもりか」というSNS上の異見があったのは、まだ救いだが。実は地方自治体は病院を監視、ある場合には監査し、また機能までを強制できる。この執行権の行使として、法の名を語る病院への実地「指導」が年に一回ある。ベーテルは精神科病床なので、二度やってくる。一つは保健所。COVID―19災禍で、多忙な保健所は2020年殿の立ち入り指導をスルーした。もう一つの、精神科病院指導はCOVID-19感染のなかでも、粛々と実行された。本日の病院長会議(主催者からの音声はオンライン会議だった。近頃では珍しいが執行者側の音声は非常に聞き取りにくかった。当方のPCのせいであろう)、仙台市の行政官が(県の行政官の通告では正確に聞き取れなかったが)、「国から」の指示でと追加して、今年度も病院内に役人が生身で立ち入るという(行政権執行者たる公務員と準公務員はコロナに感染しないので、何処にでも、この場合医療現場にも自由に足を踏み入れることができるらしい)。それでもさ、お願いだから、コロナを入院病棟に持ち込まないで(解決策は既に用意されているのでは。デジタル庁と相談したほうがいいのでは。なお、音声通信情況は事前に確認しておいた方がよい。血税を使っているのだから)
あらためて思い出した。この国の精神保健行政は、恥ずべき事に精神病者監護法(1900年、明治33年)であった。この時代、そしてCOVID-19災禍の第五波でも、精神科病院と精神保健法は治安の歴史をひきづっている。 (Drソガ)