2021/04/09
今週のこの記事一つ202104−04(21)
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿14
河北新報. 2021年3月31日発行の第25面①、第3面②.
① 処理水海洋放出へ-唐突な会談「なぜ今」-福島の漁業者 憤り-
② -1 県漁連「地元漁業者は反対」 全漁連「考えは変わらない」
-2 宮城県知事「重く受け止める」
-3 東日本大震災10年:フクシマ水産加工「回復」21%-水産庁調査
毎日新聞.2021年4月8日、第3面③
③ 海洋放出 近く決定へ
処理水処分 限界間近
以前は見えるはずのように解説されていたCOVID-19災禍に終焉がない。そのなかで、2021年の春は驚くほどに早足で訪れ、近頃の季節感は不気味さに被われている。ふと気づかせてくれたニュースは他方、値上げの春だとのこと。マスコミがこちらで賑わないのも極めて不思議だ。世の中がすっかり変わってしまって、随分と長い間、まるで意識が朦朧としていることに気づかず、懸命となっていることも自覚できず、正気を気取り続けてながら、決して治らない熱病の世界に住まされているようだ。
3.112011-2021が過ぎたれば、当方は新聞紙面が目が行かなくなるだろうと思っていたが、とんでもない。毎日まいにち、新聞が騒がしいままなばかりか切り抜けないほど部厚だ。
ついに来た。クシマの放射能汚染水が遂に海洋投棄となる。空恐ろしいことだ。愚かな選択だ。私たちの地球を汚すな。こんな怖ろしいことを繰り返し続ける理由は何なのか。なぜ、彼らはそんなことができるのか。全ての理由は選挙に勝ったという民意か。
この一冊で紹介した小出裕章は「放射能汚染水を海に流す これは究極の環境汚染である」と述べた(小出裕章著:原発事故は終わっていない. 毎日新聞出版、2021年3月5日発行.44-57頁)。その観点では、今回の紙面は努力しているが論点の深掘りには力不足の読後感を否めない。また、漁業民の苦境と実情を哀れ豊かに表現できているが、風評被害だけが問題であるかのようにも読まれかねない。
そうではない。小出は教えてくれる。この国の原子力開発政策は放射能汚染水はため続けることができないからくりからなる。小出は京都大学の実験室から出る放射性廃棄物の研究に没頭していた方なので、廃棄物処理に関する政策のからくりももちろん知り尽くしている。原子力発電所稼働の事業と政策はトリチウム汚染水を海洋に捨てることが前提で成り立っている。気の毒となるが、元来風評被害の悲惨や実情で語られるべき筋合いのものではない。
簡単には、トリチウム汚染性が安全レヴェルの1リットル6万ベクレルを下回るよう時期まで待つには、123年間、かかる。まだ10年に過ぎない。そんな話を、宮城県知事のように「首相の口から漁業者に直接話したのは、非常に重く受け止め」たとは何のことか、上から目線に長けた言い方で済まされている。加えて、県民と漁業者は同じではないのに(どなたが)「県民、漁業者の側に立って話すべきだ」と論点をそらすしたり口で終えるのは許し難い。セイジが支離滅裂なシノギ話法で成り上がれるものならば、もともとすり替え政治だ。
彼らにとって機は熟したらしい。何の機が熟したかは知らないが、小出が言うように、この国は究極の環境汚染を始める。この偉業を成し遂げる時期にあたった総理大臣の名は永遠に歴史に残るしかない。
(Drソガ)