2021/03/27、28
ベーテル花ブログ
17 春一番番外1 −一輪草−
10日ほど前にベーテルの裏山斜面に植えてある紫陽花の株の根元に小さな白い花が咲いているのに気づいた。手元に双眼鏡を用意していないので、登ってその花を確かめたいと思っていた。一日暇がない生活だから、数分でできることもままならない。たまたま、老いのためにだろうと思いながらも、一つ一つ確かに手順通りに生活を送らなくなっていることに気づき、どんな小さなこともそれなりに時間がかかることをあらためて知った。ので、勇を鼓して(厭いはしない)斜面を登ることとした。何と、白い小花は一輪草ではないか。深山ではないこんなところに何故一輪草が咲いているのか、呆気にとられた。しかも群生している(のが特性だが)。
実は昨日、所在の散歩道で、幾分小紫の一輪草の群生を発見した。河原だから、こぼれ種が川水によって運ばれてきて、たまたま日陰となる定着に好立地の河原の土手で群生したのだろうと思いながら、一輪草などは珍しくもない、時間を割く余裕を与えられるならば、思い切れば直ぐにでも行けて(今では懐かしい)、また来たよと言える上流のあの場所あたりに目線を上げた。山は近いがきっと寒く、河原は深山ほどではないが実際は寒いのだ。
一輪草はゴールデンウィークに必ず楽しむ当方の定番だ。所在の野草園で会える。とてもなく広い園のそれこそ小さな小っちゃな一角に一輪草、二輪草の群落がしつらえてある。必ず挨拶に詣でる。必ず咲いてくれて待っている(これは思い込みだが)。枯れ葉に被われた山端にそっと咲いていて出張らないので可愛いし、だからいとおしい。そんな一輪草が暖かい在所の裏山にあったんです。信じられない。
視力は使いようだ。視力は優れた若い時代に気づけなかったのは、うすらバカだったとなる。30年も過ぎてから気づいたって。あなたは何を見ていたのだ。
だから、思索方法論的には、私たちは身の周りの実際は何も知らないまま生活しているとなる。限られた個人の人生で考えれば、どのみち、個人の人生は存在論的には何にも気づけない怖ろしいものに過ぎない、となる。
さて、なお、実学。一輪草、二輪草、三輪草の育て方はNHK趣味の園芸にもあるとのことなので、一緒にやってみませんか。
(Drソガ)