2021/02/15
今週のこの1冊202102−03(12)
フクシマ第一原発メルトダウン逃避行中に亡くなられたベーテルの患者さんたちの無念を想う−3.112011フクシマ連稿4
反原発運動の四十五年史
西尾漠著.2019年12月25日発行. 320頁、緑風出版、東京. 2500円.
いよいよ3.112011−2021が間近だ。2011年3月11日午後2時46分から早や10年となる。2月13日の23時に再びマグニチュード7.3、震度6が福島、宮城を襲ったので、あらためて覚悟を決めた。フクシマ特選を続ける。今回の著者は前回11の「原発事故!」と同じ(もう一度、著者は1947年生です)。本書は懐かしき写真も多数披露している。歴史の瞬間を残す写真一葉によって、あの時がそんな大事な時だったのだとしみじみ思うこととなる。のだが、誰もが原発問題に命を懸けることができるわけではない。医者で忙しい当方も原発問題にのめり込んでいる暇はなかった。そんな風に、みながみな忙しいいそがしいをのたまわっている間に、基幹産業と国の合同運命体、そして遂には姿のない「民」にしてやられるてしまうわけだ。どんな活動にも重大な警告となる。なお、この本の最後の一葉は、2019年2月21日の県民条例案を否決した宮城県議会の傍聴席が埋め尽くされたショット(299頁)だ。
索引にその名を見つけることができなかったが、最終章「さようなら原発」に300頁に「名言の宝庫」なる拾遺集にその名を見いだした。阿部宗悦(女川原発反対同盟)さんだ。「人が自然の恩恵を忘れ利潤にのみ生きるとしたら、それは“ヒト”ではあっても“人”ではない。私は、人として生きるため、断じて原発を許さない。―1992年12月号(おそらく、はんげんぱつ新聞)」。宗悦さんが反原発で戦い抜くにはこの表現ほどを必要としたとなる。圧倒的な勢いを誇る世俗功利派との闘いは、遂に犠牲の象徴、解脱した仙人という生け贄を生む。
(Drソガ)
<目次>(漢用数字は常用数字に変更)
現場の声でつづる「反原発運動四十五年史」
1954年〜1973年 全史20年
1974年〜1978年 運動の全国化
1974年 運動の主役たちが顔をそろえる
1975年 第1回反原発全国集会
1976年 二本立て公聴会構想
1977年 「反原発週間」始まる
1978年 「へんげんぱつ新聞」誕生
1979年〜1985年 事故の衝撃
1979年 スリーマイル島事故起こる
1980年 「公開ヒアリング」に明け暮れ
1981年 敦賀原発放射性廃棄液流出
1982年 動き出す再処理工場候補地探し
1983年 反原発の多様な闘い
1984年 再処理―プルトニウム利用政策への反撃
1985年 「反核燃の日」と「幌延デー」
1986年〜1992年 脱原発への飛躍
1986年 チェルノブイリ原発事故
1987年 新しい動き、続く
1988年 伊方行動と2万人集会
1989年 「脱原発法」を求めて
1990年 脱原発法著名第1次提出
1991年 脱原発法不成立
1992年 核燃料輸送秘密化
1993年〜1999年 安全神話の崩壊
1993年 プルトニウム時代の幕開け
1994年 上関、芦浜計画めぐり動き
1995年 阪神淡路大震災から「もんじゅ」事故まで
1996年 巻原発注住民投票
1997年 動燃が衣替え
1998年 核燃料サイクルを回すな
1999年 MOX燃料上陸
2000年〜2010年 新たな時代状況
2000年 芦浜原発計画白紙撤回
2001年 二つの住民投票
2002年 東京電力トラブル隠し
2003年 原発の終わりの始まり
2004年 美浜3号11人死傷事故
2005年 上関海戦
2006年 上関海戦つづく
2007年 「原発のゴミ・全国交流集会」
2008年 上関、風雲急
2009年 プルサーマル始まる
2010年ストップ!プルサーマル
2011年〜2019年 さようなら原発
2011年 福島原発事故
2012年 全原発停止
2013年 全原発停止再び
2014年 再稼働めぐる攻防
2016年 廃炉の時代へ
2016年 「もんじゅ」廃炉
2017年 どうする核のゴミ
2018年 どうする使用済み核燃料
2019年 廃炉は続く
日本の反原発運動略年史