2021/02/15
今週のこの記事一つ2021−0203(13)
「七つの打席」生きた証
−気仙沼ーバッティングセンター経営の千葉さん−
毎日新聞、雨宮処凜さんルポ:東日本大震災10年、2021年2月6日。
「今週のこの記事」の選択には基準は毛頭ない。一方、今回の超有名人のあまみやかりん雨宮処凜(注:当方は人名にさんなどの敬称を付けない。それはもちろん呼び捨てではない。例えば論文引用で様やさんを付けないのと同じ)の記事はむしろ、この一語ありがとう、にしてもよい。さて、この記事のどの一語にありがとうって。はい、肩書きの「作家・活動家」の活動家ですよ。当方は雨宮の魅惑をほとんど知るよしもないが、たまたま著書2冊を持っている。津久井やまゆり園事件、入所していた19人が犠牲となったいわゆる相模原事件関連本だ。「この国の不寛容の果てに−相模原事件と私たちの時代―」(大月書店、2019年9月13日発行)と「相模原事件・裁判傍聴記−「役に立ちたい」と「障害者ヘイト」のあいだ−」(太田出版、2020年7月26日発行)の」だ。
私たちがノホホンと平和な日常生活を艱難辛苦の果てのように不幸せすぎるほどに送っていることから比べれば、彼女だけは空恐ろしいほどに純粋に輝いて闘い続けてきた(雨宮の経歴などはWikipediaが簡便だが、新しい概念となるカタカナ語が多く、雨宮の世界に同調できて嵌ることができない場合は難解だろう)。この言い方は雨宮にとって何の意味もなさないだろうが、この世に非常に大切な存在原点を有して、独自の凝視点を持つ過たない視角からの観察方法論を具有している。次は臨床実践論と言えばよいかな、こちらは並外れている。いずれ、また引用させて頂く時は遠くはない。
相模原事件で言えば、植松聖と面会を続ける雨宮の姿があった。まさに当方が大好きなルポだ。なお、対談も彼女の腕に見える。相模原事件はおそらく履歴と直結していて、さらに領域を広げていようし進化もしていよう。当方が受け取ったメッセジは、「1億総貧困時代」の「生き地獄」ながら「全身当事者主義―死んでたまるか」と、有り体には「息が詰まりそうな」この世でも「バカだけど社会のことを考え」「生きるために反撃し」「生き延び」、この時を逃さず「戦場に行」っても、我が「闘争」のために「活動家健康法」を実践する。
雨宮の世界に近づいていますかね。いや、わざわざ行かなくてもいいのです。この世の毎日の生活がもう、雨宮世界そのものなんです。
雨宮のテーマは果てがなく、原発も迅速に我が物としている。はてさて、この記事は3.11大津波も同じように経時化したルポだ。取材相手の言葉を拾うだけで自身は何も付け加えていない。このスタイルはとても素敵だ。記事面では最後の文章「今日という日は、昨日亡くなった人が生きたかった明日だから、悔いを残したくない」が結語となる。ほんとうはそれだけではない。この記事だけでは雨宮を読め込めていない未完了感を残す、魅力的な後味がある。
ルポは医者が病歴を取る体裁と似てはいるが、医者の場合は医者にとって必要なことを執拗に聞き回るだけだ。役割が患者に診断を「宣告」し、治療選択に「同意か不同意か」をつきつける仕事に過ぎないからだ。だからルポとはならず、以て非なるものだ。
ルポは純粋に記述する。後始末はルポライターのそれぞれの原点に拠る。雨宮の原理主義を羨望する。 (Drソガ)