権力者と対峙できないものは、政治家という職業名を剥奪されるべきだ
浜矩子:AERAdot Y!ニュース配信. 2021/01/07、16:00. AERA. 巻頭エッセイ「eyes」、2021年1月11日号.
このお一言、頼るべきものがない放浪の砂漠でお釈迦さまに遭えたように嬉しい。人生の悶々に答えを授けてくれる人こそありがたい。浜矩子、大したお方だ。吐くべき言葉を与えてくれる。
前回は芥川賞受賞最年少の天才平野啓一郎のお一言を紹介した。この「今週この一言ありがとう」も始めようと考えたのは、毎日まいにち朝から深夜までずぶずぶの臨床医である当方に、TVや新聞を含むニュースや記事諸々にそんなことが起きているの、そんなふうに考えればいいのねと教えてもらい、深夜に至り眠りに入るに心地よい「天職」である幸せを感ずることがないわけではないので、これを一年拾い集めてみればどうなるか、であった。が、平野以来、この一月、そんな一言とはついに出逢えずじまいであった。
制度権力以外には何の価値を見いだそう日本の政治医療世界に住まわされ続けて、大分前からそろそろ愛想が尽きている。浜が表題の如く痛快に喝破したので、一服の快哉。
制度(特定の政治家集団なる権力と忖度まみれの官僚制度)とはこの世の掟の模様替えだ。この世の掟は知らないところで決まる。現場には制度改訂経過に係る情報らしきものは医師会発のニュースぐらいのもので、業財界の特殊新聞に目通す時間があるなら明るくなるかな程度で、全くないと言ってよい。言葉を換えれば、雲上の世界が下界に掟を置いていく。「日本権力」が「毎日まいにち」、忙しく「一々」「事細かに」謀っている。医療分野では日比谷あたりの官僚群が日常臨床の非生産性にけちづける大した論文作成作業に明け暮れている。この公然たる権力構造には快適な白々としたロビーが用意され昼夜問わず赤々した会食三昧もあるだろう。会食に与る官僚群の名はもちろん庶民、この場合医者、には分からない。市井医者には今なぜ制度変更が必要なのか、今がその時期なのかすら問われることもない閉鎖された作業過程が毎日毎夜日比谷で踊り舞う。専門家会議なる「正式」世界に参加する斯界きっての有名人はいつも、相当にキツく忙しいらしい。この会議了承が制度変更のアリバイ論拠となり、最終的には医療実態を知る由もない「訳の分からない」財務省からのごね廻しに対応するらしい。裏にいるロビイスト巨大資本の実態はもちろん全く外に出ない。会食だから。なかにはスーダンでの日誌の秘匿や森友問題の会議録ごとく、「保存」は定められていないと宣う。国会が権力の前では何のチカラもないことが国民に知れ渡った。
世の中がますます息苦しい。誰も望まないが、凡人は自ら息苦しくなるようにしながら掟の遵法者に成り下がっていることには気づかない。野良ネコがいなくなった、道ばたで遊ぶ子どもたちの姿がなくなって云十年。活気に満ちて騒がしい路上の商売もなくなった。
そんななか、日本の医療制度だけはなぜか、いつの間にか輝く世界一となったらしい。それぞれの国が自国の医療制度は素晴らしいと考えているのに、この喧伝は幻想に過ぎないことを誰も指摘しない。日本が世界一と世界が褒めているって。オイオイッ。官僚達の頭の中では、描き続けてきた未来都市は既に完成し欧米に自慢するほどの自画自賛の墨絵となった。皆で見に行こう。万々歳だ。(官僚達の作文作業の卑近な一例に「宮城3病院統合・連携」問題がある。官僚作文と無関係な当院の視点では本稿の連番にはならない)。
さてはて、矩子さん、ありがとう。政治家のことはよく分かった。とはいえ選挙制度は単なる利権争いに過ぎないので、お説は衒学のお一言かも。でも、素敵です。 (Drソガ)